「学習コスト」という言葉について、自分の感じ方が変わってたなど
ある日、TwitterのTLがある勉強会の内容で埋まった。 自分はその勉強会には出ていなかったのだけれど、隙をみては追っていた。
その中でちらほら「学習コスト」というキーワードが目に入った。
「学習コストが高すぎて導入できない」
その通りなんだろうなと思う。
ただ、なんだろう、違和感を感じた。
その方たちが言ってることに対する違和感じゃなく、自分の中に閉じた違和感のようなもの。
少し考えてみるとすぐに気づいた。
自分は「学習コスト」って言葉に対する現実が薄くなっている。
「なっている」と書いているのは、少し前までは明確に自分がリアルに感じて持っていたもので、よく使っていた言葉でもあったからだ。
どうして僕は「学習コスト」という言葉にリアルを感じなくなってしまっているんだろう。
原因
実は原因は明確だった。
一つしか思いつかない。僕に起こった変化はただ一つ。 転職 だ。
転職前はとあるスタートアップに身を置いていたが、現在はそれなりに大きな会社の内製開発エンジニアとして働いている。
スタートアップにいた時は常にコストが隣り合わせだった。 いかに早くリリースするか。何か問題があれば、何を削るかもしくは遅らせるか。
と、書いてみたものの実はこれは今の会社でも変わらない。 ただ、 度合いは全然違う。
スタートアップでは、それが失敗すれば会社がなくなる可能性が明確にある。常に、いつまでに何を達成していないと会社が潰れるのかが見えている。 コストが相対的に高く、直接的な成果につながらないことは罪に等しい。
今の会社では、まず会社が潰れるだろうって将来は見えない。
そしてスタートアップと同じように「コストの高く、直接的な成果につながらないことは罪に等しい。」ってのは一見どこでもそうなんじゃないの?と思えるけど、ちょっと状況が違う。
今いる会社では「 個々の成長が会社の発展につながる 」と考えられている節があって、自分の成長に繋がるようなことはむしろ積極的にやってこうぜってなってるように感じている。
つまるところ直接的な成果につながらなくとも、 個々の成長に繋がるのならそれは罪なんてものでは決してない。
このギャップが一番大きな要因。
そういえば、入社した時にこのギャップは危機感として感じたことを思い出した。 コストが高いからやるべきでないと、直接的なことばかりやってて成長しなければ、すぐに自分の価値がなくなってしまう。。。!と入社してすぐに思ったなど。
話を戻して、転職した結果学習コストというキーワードに対するリアルが薄れていっている要因がもう一つある。 それは チームメンバーの成熟度の違い。 成熟しているエンジニアに取って学習コストは大きな問題ではない。 というか関心が広いので大抵のことは、すでに勝手にそのコストを払ってしまっていることが多い。 また、未知のことでも習得するまでの自分なりの学習方法を持ってたりすることも多い。
メリット・デメリット
メリット
学習コストを気にせずに開発できるっていうのはエンジニアとしては最高の環境なのかもしれない。
「学習コスト」ってキーワードは自分に向けて使う文脈と、チームに向けて使う場合とがある。
これを意識しないでいいっていうのは、明確に成長に時間を使うことができて、またチームメンバーも優秀であるってことで、最高。
デメリット
自分の将来を考えると、コスト感覚は死活問題に関わるレベルの話である。 もし「学習コスト」に対するリアルを失ってしまい起業なんてしてしまったら、事業が全く前に進んでないのに、やるべきことをやらず、ずっと本読んだり人に会ったりして自分の成長のために時間を使うようなことをしてしまいそう。
このブログを戒めとしておこうと思う。
まとめ
以上から、ちょっと言い方を変えると、学習コスト過敏になると成長しない。逆に、全く意識しないと成果が出せない。