アナログ金木犀

つれづれなるまままにつれづれする

唐突のネガティブコメント!!

バズった記事のコメントを見ると引くほど否定しているコメントをよく見かけます。

「これってそんなにキレるほどのこと言ってるか?意見の一つとしては面白いと思うんだけどなぁ。」

みたいなことがざらです。

身近な話だと技術ネタだったり、チーム開発ネタだったりの技術そのものと開発周りのエモい系の話とか。

ライフハック系とかはあまりないかも。

これってなんでこんなに否定するのかって考えてみました。

どうしてそんなに否定するのか

ただの趣味

1つは否定すること自体が単純に趣味である場合。

引くほどディスってるなぁってコメントを書いている人の過去のコメントを見ると、もれなく汚いコメントで埋め尽くされているってことがよくあります。

これはもう趣味としか言いようがないなって思います。性格に昇華して、息を吐くように毒を吐いてる人もいますが。

個人的にはこういうアカウントは運営によって駆逐されてほしい。

否定しなければいけない状況だから

もう1つは趣味ではないが、ただ単に受け手が否定せざるを得ない状況である場合

その記事の内容を認めてしまうと、自分が間違ったことになってしまう場合です。

きっと意見なんて違って当たり前で、たとえその人の意見が自分を全否定していようとも、それくらい許容できる器量を持つべきとは誰もが思ってるとは思うんです。

ただそれでも許容範囲を超えてしまったりして否定せざるを得ない、苦言を呈さずにはいられないってこともあるんだろうなと。

たとえば、人間関係がクソすぎて転職をした人(Aさん)がいるとします。

そして、その人があるブログを見る。

そこには「人間関係に諦めて転職するのは止めましょう。一度でもやってしまうと、一生逃げ癖がついてしまいます。」と書いてある。

そうなると、Aさんはこの意見を否定しない限り、「一生逃げ癖が付いている人」であることを認めることになってしまいます。

だがそんなのAさんは認めたくない。だから否定せざるを得ない

という流れです。

技術ブログとかの場合は、設計とか技術選択の方針とかをブログに載せたとして、見た人が違う考えである場合は、それを否定しないことには自分がいま作っているものを全部作り直さないといけない状況になってしまうわけです。

生活がかかってるわけなのでどうしても否定せざるを得ないと。

どうしたって意見は誰かとかち合う

ある経験から得られた教訓っていうのは、どうしたって誰かとかち合うものだと思います。

ある経験をして、まったく逆の結果になってる場合なんてたくさんあるわけですし。

じゃぁ統計的に正しいと言えるほどの経験を得ればいいのかっていうとそうでもなくて、それはきっと正しいのですが、それでもやっぱり受け手が1つの経験から得られた教訓を信じている以上、かち合います。

炎上するかどうかはテーマにも大きく依存している

だれかがコメントで「炎上なんて普通にしてればしないんだけどなぁ」と言ってるのをみたことありますが、それは違うというのが僕の考えで、炎上はテーマへの依存が大きくて、普通にしてても起こり得るものだと思うんですよね。

で、どういうテーマかっていうと、誰かが否定せざるを得ない状況を作りやすいテーマだと思います。

もっと言うと、意見が分かれやすくて、かつ生活とか誇りに関わるテーマです。

技術ネタだったり、チーム開発ネタだったりの技術そのものと開発周りのエモい系の話はまさに、生活にも誇りにも関わるので注意を払わないといけませんね。

炎上がこわければ、読み手に度量のデカさを求めてもしょうがないので、炎上が嫌ならテーマを言わない系の記事だけを書くようにするのが一つです。

月並みな表現になるかもですが、それでもやっぱり意見をいう人のほうがかっこいいなぁとは思うわけです。

もう一つは意見を言う際は、あくまで一個人の意見でほかの人の意見を否定するものではないと断って始めるっていう手段です。

それでも口すっぱくその前置き入れてもキレる人はいますが。そしてロックではないですが。

ということで、みんなロックに生きようぜってお話しでした。

現場からは以上です。